マレビトの会「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」

◎表面張力への一滴 ―「アンティゴネーへの旅の記録とその上演」と福島―
 前田愛実

 フェスティバル・トーキョー(F/T)2012の主催プログラム、マレビトの会(代表:松田正隆)による『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』は、第一の上演と第二の上演から構成された作品である。

 第一の上演では、ある架空の劇団「パトリオット劇場」が福島で一人の盲目の観客のためにギリシャ悲劇『アンティゴネー』を上演するという物語が、ブログやツイッターなどのSNSや動画を使ってウェブ上に配信されたのだが、SNS上では、パトリオット劇場の主宰や俳優を中心とする、登場人物たちの日常や生活などが書き込まれていた。つまりこの期間、物語の中の人間たちがSNSを介して現実に紛れ、この世界に生存していた(ツイッターでいうならサザエさんbot的に)というわけだが、それらを読むことで、三カ月ほどの間オンライン上で『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』の一部が上演されていたということでもある。
 また「パトリオット劇場」をめぐる様々な「出来事」の告知もされ、地図を手掛かりにその現場に立ち会うことも可能だった。
 このような形で、第一の上演は8月から11月まで行われ、観劇を予定している観客は、あらかじめ第一の上演を見てから来場することがオススメされていた。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第14回

◎「一冊でわかる 歌舞伎名作ガイド50選」(鎌田惠子監修 成美堂出版 2006年)
 明神 慈

歌舞伎名作ガイド50選

 人生の中で、困難なプロジェクトに立ち向かうときがある。2012年の夏、まさにその真ん中にいた私を支えてくれた一冊を紹介したい。

 2013年開催の瀬戸内国際芸術祭のプレ企画として、芸術祭事務局・こえび隊の大垣さんからこんな依頼がきた。小豆島・中山農村歌舞伎の舞台にて、保存会の方々と、会所有の衣裳を使ってファッションショーを打つ。演出を担当してもらいたいと。私は学生時代、歌舞伎・舞踊研究会に所属していたので、歌舞伎のいろはを体感していた。農村歌舞伎が好きで、よく埼玉の小鹿野歌舞伎を観に行ったりもしていた。いつもは現代劇を創っているけれど、50歳になったら歌舞伎台本を書くつもりだったので、歌舞伎に関われるうれしさに、二つ返事で演出を引き受けた。
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ポツドール「夢の城」
ASA-CHANG&巡礼「新・アオイロ劇場」

◎みやこに雨のふるごとく―KYOTO EXPERIMENT2012報告(最終回)
 水牛健太郎

 ポツドールの「夢の城」の、2006年の初上演は見ていない。マンションの一室を外から見る舞台。冒頭は窓枠もはまっており、ガラスを通して(実際はアクリル板だろうが)、まさに覗く形。時間は深夜二時、近くにあるらしい高速道路から車の走行音が絶え間なく響いており、中の音は聞こえない、という設定である。この窓枠は二幕目から外れるのだが、やはりセリフはない。つまりこの作品は最後まで一切セリフのない無言劇だが、導入で違和感のないよう工夫をしているわけだ。
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Baobab「~飛来・着陸・オードブル~」
ぐうたららばい「観光裸(かんこーら)」
高嶺格「ジャパン・シンドローム ~step2. “球の内側”」

◎京都、東京、それ以外全部―KYOTO EXPERIMENT2012報告(第5回)
 水牛健太郎

 Baobabは去年のKYOTO EXPERIMENTにも出ていて、一年ぶりに見た。ポップというか、最大公約数的な意味のダンスの楽しさ、格好よさを大切にしているカンパニーで、その印象は変わらなかったが、その上での表現という部分で相当な深化があった。前回はやはりナイーブというしかない面があり、「それじゃコカコーラのCMだ」と書いたけれど、もはやそうは言えない。一年でここまで成長するかと驚かされた。
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チョイ・カファイ “Notion: Dance Fiction” and “Soft Machine”
アマヤドリ「幸せはいつも小さくて東京はそれより大きい」

◎心と口と行いと―KYOTO EXPERIMENT2012報告(第4回)
 水牛健太郎

 チョイ・カファイはシンガポールのアーティストである。大柄で太り気味の中国人だ。通訳としてcontact Gonzoの塚原悠也を引き連れて、電気と筋肉の関係についてやおら説明を始める。18世紀以降の研究史をスクリーンに映しながら解説する。

 研究によって分かったこと。人体は神経繊維を通る電気信号によって筋肉に命令を伝え、動かしている。そして解説は、この科学的な成果を利用したパフォーマンスのアイディアへと収斂していく。コンテンポラリー・ダンスにおける身体の各部位の筋肉の動きを電気信号に変換してコンピュータに記憶させ、それを別人の身体に流すことによって、同じ動きをさせることができる。動きをコピーするというか、レコードで音を再生するのと同じように、動きを再生する。こういうアイディアである。
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ナカゴー「鳥山ふさ子とベネディクトたち」
ロロ「LOVE02」
ニッポンの河川「大地をつかむ両足と物語」
リア・ロドリゲス「POROROCA」

◎ブラジルの河川―KYOTO EXPERIMENT2012報告(第3回)
 水牛健太郎

 KYOTO EXPERIMENT 3週目の先週はフリンジを中心に観劇する週となった。フリンジ作品を3本見たが、それぞれに刺激があった。

 ナカゴーは「鳥山ふさ子とベネディクトたち」と題して二本立て、そのうち主な演目は「ベネディクトたち」で、2年前にも「町屋の女とベネディクトたち」という二本立ての一本として見たことがある作品だった。これはかなり面白い作品である。
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ロロ「LOVE02」
ニッポンの河川「大地をつかむ両足と物語」
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鵺的「荒野1/7」

◎劇作家の幸福
 宮本起代子(因幡屋通信発行人)

「荒野 1/7」公演チラシ
「荒野 1/7」公演チラシ

【肉親を題材にすること】
 劇作家高木登の母上のきょうだい7人は事情があって離散したのち、母上が中年にさしかかったころに長兄の尽力で再会を果たした。その後のおじやおばたちの人生は非常に厳しいものであったらしい。公演チラシには、「この程度の不幸はよくあることだが、あいにく彼らは自分の血族だった」と記され、「家族なんていらないという伯父の肉声に応えるように、導かれるように書いている」と続く。
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地点「はだかの王様」
レイジーブラッド featuring Reykjavík!「The Tickling Death Machine」
杉原邦生/KUNIO 「更地」
劇団競泳水着「リリィ」

◎台風一過―KYOTO EXPERIMENT2012報告(第2回)
 水牛健太郎

 以前どこかで書いたけれど、身分というのは演劇そのものである。「この人は王様だ」という「お約束」の上にすべてが築かれ、それが否認されるや王冠は奪い取られる。「身分は演劇だ」というのは比喩ではない。ただの事実だ。だっ
て、誰かが誰かより、「生まれつき高貴である」なんて、現実じゃありえない。お芝居の設定以外の何だと言うのか。それが一国を挙げての大掛かりなものだったとしても、お芝居に違いはない。

 「はだかの王様」というお話の鋭さは、身分というもの(というか、ありとあらゆる「AさんはBさんよりも偉い」)の演劇性というものを、容赦なく暴いてしまうところにある。一見のんきな寓話のようで、その刃はすべての虚飾を切り裂く。
誰の身の周りにも、一人や二人、「はだかの王様」にたとえたくなる人がいるのではないか。会社の上司とか。劇団の主宰とか。や、特定の劇団の話じゃないですよ、もちろん。
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杉原邦生/KUNIO 「更地」
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砂連尾理/劇団ティクバ+循環プロジェクト「劇団ティクバ+循環プロジェクト」

◎秋風吹いて―KYOTO EXPERIMENT2012報告(第1回)
 水牛健太郎

 形も色も材質もバラバラの椅子が五つ、講堂に並んでいる。そこに出演者が座り、左端の椅子と隣の椅子の間には男性が、車いすを華麗に操って滑り込む。パフォーマンスが始まる。

 しばらくは顔見せとでも言うのか、出演者が一人ずつ、前に歩いて、壁に突き当たって後ずさりして戻ってきたり、自分の名前を言って、それを他のメンバーが口まねしたりと、一定の規則的な動作が繰り返される。でも、単調ではない。強烈な存在感を発揮するのは車いすの男性だが、三人いる外国人男性のうち二人は吃音者らしく、そのうちの一人は、自分の名前を言ってもまるで鳩の鳴き声のように聞こえる(吃音のためだけでなく、この人の名前自体、鳩の鳴き声を思わせる響きを持っていることに、今パンフレットを見ていて気づいた)。
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鵺的「荒野 1/7」

◎濃厚な演劇らしさ
 水牛健太郎

「荒野 1/7」公演チラシ
「荒野 1/7」公演チラシ

 観客席の前の、ごく狭い、奥行きもあまりないスペース。そこに背もたれのない丸い椅子がいくつか置かれている。役者が一人ずつ登場し、椅子に座って話し始める。演技空間は、喫茶店に設けられた時間貸しの会議室に見立てられているが、セットは横一列に置かれた椅子だけで、演技はほぼ顔の表情に限られている。役者は入退場の時以外には、立ち上がることもほとんどない。台本こそ手にしていないものの、リーディングに近いような演出なのだ。それなのに濃厚な演劇らしさが漂う。
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